●プログラム・ノート
ミルクール・ギター(1827)
私が懇意にしているギター製作家、ベルンハルト・クレッセ Bernhard Kresse 氏は1995年にフランスのビシー(Vichy)で開催されたオークションでこの楽器を購入したのでした。楽器はばらばらの状態でしたが、すべてのパーツは良好な状態であり、損傷のないことを示していました。
それは1820年代後半から1830年代前半にかけての楽器で、形もデザインも典型的な古典期のものであることは、パリはミルクールのギター制作家達の製作したものから知ることが出来ます。私はベルンハルトに7番目の弦を追加してくれるように頼みました。この変更は1840年代と1850年代にはかなり普通なことであり、メルツ
Mertz やコスト Costeの作品を蘇らせます。
L.レニヤーニ
Luigi LEGNANI (1790-1877) - 綺想曲 作品20
レニヤーニはパガニーニの綺想曲集に刺激を受け、てこれらの珠玉の作品を作曲しました。調性、色彩、そして楽曲素材の相違が個々の綺想曲に際立った個性を与えています。イタリア・ベルカント唱法のロマンティックなスタイルから決して遠くはありません。
F.シューベルト
(1797-1828) - 住み処
シューベルトはとりわけリートの大家でした。彼は、歌詞の性格を支えるように、和音やリズムが殆ど波立たないように、伴奏パートをシンプルに書き上げました。それは、彼自身が演奏したギターという楽器に対する、共感の表れと言えましょう。
J.K.メルツ(1806-1856)
- 夜会の調べ
1986年、ジム.ダダリオ氏が私にマリオ・マカフェリ氏を紹介してくれました。するとこの伝説のギタリストは私のために、まだ私には未知の作曲家であったJ.K.メルツの作品を何曲か演奏してくれたのでした。メルツの音楽は、欠くべからざるビブラート、ルバート、そしてメルツ自身が求める芸術的資質をもってして、最高にロマンティックな音楽となるのです。
〈休憩〉
ジョン・ギルバート
ギター(1980)
ジョン・ギルバート John Gilbert(1922)はもともとコンピューター・エンジニアでしたが、全く独学でギター製作家となりました。1965年以来、ギターの修理や組立をあくまでも趣味として行っていたのですが、演奏家達からの薦めによって1974年から全くの製作家としてスタートしたのでした。ハイテク技術から得た経験から、寸法、重量、剛性などの測定に著しく特別なアプローチを見せました。その結果、彼が作り出す楽器はどれひとつとしてばらつきがなく、そのことは最も低いポジションから最高ポジションに至るまで音が均質出るとの絶大なる評価でした。1991年、ジョン・ギルバートの息子ウィリアム(ビル)が共同製作を開始します。
S.アサド-フェアウェル
“フェアウェル(別れ)” は1993年に相米慎二監督による日本映画「夏の庭」のために作曲され、映画の完成後この世を去ったアサド夫人に捧げられています。
W.ヘンドリックス-サエタ
“サエタ(Saeta)”は一種の「祈り歌」で、スペイン・アンダルシア地方の「カンテ・ホンド Cante
Jondo」に属します。サエタは長い間セビリアの聖週間と関わりがありました。拡張された通りに沿って、熱狂と生命力が、深い感謝の念や歓喜とないまぜになって、夜通しで歌われます。
“サエタ”は「イエスの十字架への道」に触発されて書かれた作品で、七つの部分から成っています。
1.死刑に処されるキリスト
2.イエスの十字架への道
3.悲しみのマリア
4.磔のイエス
5.十字架に死す
6.イエスの復活
7.瞑想
J.S.バッハ-シャコンヌ
BWV1004
かの有名な「シャコンヌ」は、本来ポリフォニック(多声部音楽;訳注)な楽器ではないバイオリンのために作曲されたポリフォニックな作品です。バッハはそういった作品をいかにして他の楽器用に移植(編曲)すればいいのかを示していました。私はこの作品を全く作者自身の手書き譜のまま演奏しますが、必要と思われる低音をいくつか追加しています。そのことはバッハ自らもしばしば行ったことでした。
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