武満徹作曲《海へ Toward
the Sea》で共演の松石隆さんから、曲目解説が届きました。
実は松石さんは北海道大学水産学部の准教授でもあられます。素晴らしい文章を寄せて下さいました。
「海へ」に寄せて
武満徹作曲のアルトフルートとギターのための「海へ」。この曲は、武満の代表作と言っても良い名作で、1981年に初演。1982年の初版以来、版を重ねており、国内外の多くの演奏家が取り上げている。藤井先生も、函館出身の国際的フルーティスト清水信貴さんとの演奏をCDに収めている。また、アルトフルートとハープ、また加えて弦楽合奏を含む版も武満自身によって出版されている。
全3楽章、演奏時間13分の作品。アルトフルートという、普通のフルートよりも4度低い音の出る楽器を使用する。譜面には運指が指定されている場所もあり、音色の違いにまでこだわった作曲がなされている。全楽章を通じて、しばしばEs-E-Aを移調した音型が出現する。これはSEAすなわち海のテーマであり、武満の他の作品にも登場する。
第1楽章は「夜」。私が大学院生の時、2ヶ月無寄港の捕鯨船に調査員として乗船したことがある。ある日、太平洋のど真ん中で、夜に船内で一番高いところにある甲板に出てみた。まわりには人工的な明かりは一切無く、水平線もどこにあるかわからない。船が揺れているのではあるが、空を見上げると、空全体が揺れている錯覚に陥る。ゆっくりと揺れ動く天の川、月明かりに照らされた海面が美しい。夜の海は、えもいわれず幻想的で、妖艶にさえ思えた。
第2楽章は「白鯨」。ハーマン・メルヴィルの長編小説で取り上げられた大きな白い鯨であるが、これは、高齢の雄のマッコウクジラである。ハクジラ亜目最大の本種は、体長が20mを超えることもあり、また寿命も長く、高齢になると表皮がはがれ落ち白くなっていく。3000m以上も潜水し、海底でダイオウイカなどの大型のイカ等を捕食している。アメリカでThe
Whaleと言えばマッコウクジラというぐらい、大航海時代のアメリカ人たちはこの鯨に執着して、鯨油を取るために全世界で捕鯨をしてきた。当時は日本近海、特に日本海やオホーツク海に多くのマッコウクジラが生息しており、アメリカの捕鯨船が数多く来航していたが、日本は鎖国をしていたため、寄港することができない。長期の航海で水や薪が不足したり、あるいは病人が出ることもたびたびで、どうしても日本に寄港したいと考えるのは当然であろう。1855年に日米和親条約、4年後に日米修好条約を締結して、日本は開国することとなった。いくつかの開港地が指定されたが、実は欧米が一番開港して欲しかった港は、日本海の入口である函館であった。それが証拠に一番最初に港の形や深さを測量して海図を作ったし、両条約ともに開港地として指定されたのは函館のみである。
第3楽章は「鱈岬」。Cape
Codというリゾート地である。すぐ近くにウッズホールという都市があり、ナポリと並んで古くから海洋研究施設が集まっている海洋研究都市である。現在、函館では水産海洋研究都市構想が進められており、数年後には、函館どつくの先にある埋め立て地に研究施設が建設される予定になっている。函館の水産海洋研究都市構想の手本になったのがウッヅホールであり、おそらくは、将来、函館はアジアのウッズホールとして世界に名をはせるであろう。ウッズホールやナポリのような海洋研究都市は、立派で使いやすい研究施設が有ることはもちろんだが、しっかりした街があり文化がある。街があり文化がなければ、いくら研究施設を整えても良い研究ができない。都市の機能と文化は両輪なのだろう。函館は、かつては、開港地であり、また北洋漁業の基地として栄え、東京以北最大の文化都市であった。函館の活性化のためにも、今後も文化を大切にし、振興していくことが必要であろう。
今日、函館市公民館講堂という、函館の音楽文化を永年にわたって育んできた会堂で、函館圏出身の藤井先生と武満の「海へ」が演奏出来ることは、私にとって大変意義深い事である。
2011年9月30日 北海道大学練習船おしょろ丸にて
松石 隆
|