ギターによる“大西洋横断”
John.W.デュアルテ(ギタリスト)
スペイン人が15〜16世紀、ラテン・アメリカに新天地を求め移住した時に彼等はスペイン・ルネサンス期の音楽、特にギターの前身である弦楽器による音楽を持って行きました。それ以来今日まで、多くの変化がありました。今では、アーリーミュージックの面影はありません。それぞれの国の誰もが、自身のフォーク&ポピュラー音楽の伝統を持ち、程度の差はあれヨーロッパや北アメリカの影響を受けて来ました。
本日のプログラムでは、キューバ、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、そしてスペインから2人の作曲家に登場してもらい、時代の変遷とともに発展した音楽の数々をご紹介致しましょう。
レオ・ブローウェル[1939年生まれ]
/黒いデカメロン
キューバ生まれで現存する作曲家、レオ・ブローウェルはその豊かな創造力で高い評価を受け、“キューバのルネッサンス人”と呼ばれ、この作品は、その評価を確固たるものとした。『黒いデカメロン』は人類学者で作家のレオン・フロベニウスがアフリカで収集したアフリカの民話にもとづく、3つのバラードから成る。タイトルがボッカチオのはじめての小説である“デカメロン”からの借用である事は明らかである。ブローウェルは作品について次のように語っている。「メイン・ストーリーは、音楽家になりたいひとりの偉大な戦士の話です。一族から追い出され、恋人とも引き離され、山の中をさまよっています。彼の部族は次第に戦いに負け始め、部族は彼に戦いに戻る様懇願しました。そしてどの戦いにも勝ち、その後恋人と一緒に山へ帰りました。」本作品は“こだまの谷からの恋人たちの遁走”や“恋する乙女達”という言葉(テキストor曲名)を極めて生き生きと描写しているので、ブローウェルのイマジネーションを十全に汲み取れなかったとしても、更なる説明を必要とすることはないでしょう。
ホアキン・ロドリーゴ[1901〜2000]
/祈りと踊り
20世紀、スペインを代表する作曲家ロドリーゴはこの曲を、ベネズエラのギタリスト、アリリオ・ディアスに捧げた。ところが、あまりに難しく、ディアスがレパートリーのひとつにするまでにとても時間がかかった。多くのギタリストたちが改作を試みたが、演奏するうえでの格別の難しさが残るのであった。ロドリーゴは、ファリャの“スペインの庭の夜”と“恋は魔術師”の微妙な関連に、関心を寄せていた。たちこめる神秘性と祈りの言葉が、ポロの形式による踊りや、シンコペートされた3拍子によるフォーク・ダンスの歌を導く。そして最後の静寂の言葉を語るのはファリャなのである。
セルジオ・アサド[1952年生まれ] /3つのギリシャ文字 アサドは、ブラジルの作曲家であり、名ギタリスト。弟のオダイルとのデュオでよく知られている。この曲はアンティゴーニ・ゴーニに捧げられた。アサドは説明する。「ご存知のとおり、古いギリシャ語は、西欧の言葉や思考に深く影響を与えました。これらの記号は、アルファやベータから、A,Bが導かれるアルファベットのような単純な概念を現わす他、無理数や興味深いパイのような、理論的な数学や、シグマと名付けられた分子のような自然の相互作用といった複雑な西欧的な思考から、しばしばサイ(Psi)で現わされる最も深い人類の秘密をも解き明かしているのです。3部から成る『3つのギリシャ文字』はこのサイ、パイとシグマの音の自由な結合です。サイ(ψ)の文字は、パイ(π)とシグマ(Σ)の音を混ぜ合わせた様で、この曲の第1部です。サイ(ψ)は、3つの部分から成り、第2部、第3部で、さらに発展するパイ(π)とシグマ(Σ)といった2つの対照的なテーマを混ぜ合わせています。これらの作品は、調性音楽とリディア旋法を統合し、更に半音階技法を味付けとして加えている。」
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アウグスティン・バリオス・マンゴレ[1885〜1944]
/3つの小品
バリオスは、パラグアイ生まれのギタリスト・作曲家で南米やヨーロッパで活躍する。彼は、レコーディングを行なった最初のギタリストで、バッハの全組曲もはじめて録音した。彼の作品は1950年代に録音されたレコードでよく知られているが、70年代に入り多くの作品が“再発見”された。『3つの小品』のうち、“クエカ”は4分の3拍子のチリ・ダンスを生き生きと表現したもの、“ヴィダリータ”はアルゼンチンの感傷的な踊りの歌、“マシーシャ”はブラジルの激しい踊り。バリオスが南米旅行で目の当たりにしたこれらの踊りは、19世紀の終わりに大変流行したが、1911〜13年頃タンゴのように形を変えて行った。
フェデリコ・モンポウ[1893〜1987]
/コンポステラ組曲
モンポウは、独学のピアニスト・作曲家として知られているが、作品のほとんどがピアノの小品と歌で、ギターのための作品はこの1曲のみである。この組曲は、セゴヴィアが長年サマースクールを行なっていたサンティアゴ・デ・コンポステラ(スペインの地名)に献呈された。“プレリュード”は間断無い動きが全体の基礎となり、冒頭と最後(結尾)でははっきりと調性を示しながらも経過句では「ぬけ道(en
route)」を通ってかなりかけ離れた調へと転調している。 “コラール”は4声から成り、バッハを思い起こさせ、教会への敬意を表わす。やさしく揺れるような“クナ”(子守歌)は、フォークソングのような間奏曲。“レチタティーヴォ”は、対話の形をとっていて、一方は、力強く目立ち、他方は陽気でやさしい感じ。もの悲しい歌“カンシオン”は開放弦の4度と5度を用い、オリジナルにはない効果を生み出している。サンティアゴ・デ・コンポステラは、ガリシア地方の中心で、燃え立つようなダンス“ムニェイラ”発祥の地。
アルベルト・ヒナステラ[1916〜1983]
/ギター・ソナタ op.47
ヒナステラは、ピアソラ以前のアルゼンチンで最も有名な作曲家。ブラジルのギタリスト、カルロス・バルボサ−リマに依頼されて1976年にこの曲を作曲。早くからギターのために作曲したかったが、この曲がはじめての作品となった。ギターのための優れた小品が数多くあるので、彼は大曲で答えたかった。最初の“エソルディオ”はスケールの大きな和声で語りかける部分と、穏やかさが衝撃的に終わる、歌うような2つの要素から成る。ファンタスティックに、できるだけ速くと指示のある“スケルツォ”は、おどけたように、ギターのあらゆる部分を使って、楽器の効果を生み出し気絶するようなアクロバティックな曲。中ほどで、ヒナステラが、からかうように“ベックメッサーがやってくる”と付け加えるゆっくりとしたパッセージにさえぎられる。曲の終わりに再び現れ、“スケルツォ”が“ジョーク”だったかのように、すぐに消え去る。対照的に“カント”は、とてもラプソディックなラヴ・ソングで、情景、ディナーミクや音色の多彩な変化が極立っている。“フィナーレ”は華々しいロンドで、息をもつかせぬリズムの饗宴。南米の大草原、古きコロンビアに伝わるフォルクローレのリズムである。
John.W.Duarte(guitarist)
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